従然草

内容がないようです

優駿

お久しぶりです。書いてるたびにこれ言ってる気がしますわね。よく覚えてないけど。

 

基本的に文章を書くときは素面では書けないタチですので、自分が過去に書いたことは忘れています。そういうことにしています。万が一思い出してしまったりしても、どんなに恥ずかしいことを書いても、すべて酒のせいにできますからね。

 

僕にとって文章を書くという行為は封印のような意味を持っているのだと思います。書くと考えが整理される、とよく言いますけど、僕は自分の中の早いとこ忘れ去ってしまいたい(けどなかったことにはしたくない)思いや考えを綺麗に(あるいは煩雑に?)整理し、箱にしまって、記憶の外に追いやってしまいたいのかもしれません。中高生の卒業文集を押し入れの奥に押しやってしまうみたいに。でないといつまでたっても同じところで足踏みして前に進めないらしいのです。

 

 

いつかそれらを押し入れの奥から引っ張り出して「いい思い出」だなんて振り返る日が来るのでしょうか?想像しただけで反吐が出ますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(以下、ウマ娘のネタバレあり)

 

 

 

 

 

 

ウマ娘season2、よかったですね。opを聴くと脊髄から涙が出るようになってしまいました。あんまり語ると長くなっちゃうし言葉にしきれないくらいいいアニメだったので特に多くは語りませんが、このアニメは「夢」という言葉に誠実に、正面から向き合った作品ですね。

 

season1のラストでトレーナーが、「夢はあきらめない限り必ず叶う」とかいう反吐が出るようなセリフを吐きますが、この言葉を口に出す以上、語らなければならないことをseason2で見事にやってのけたと思います。夢を追う中で必ず立ちはだかるであろう挫折、喪失、絶望、といった負の側面をこれでもかというほど描いています。いや普通に観ててつらいわ。ウマ娘じゃなきゃ見れねえよ。

 

しかしそのような苦難の中にあってもテイオーは走ることを、夢を追うことをあきらめません。応援してくれるファンやチームのみんなのために、そして何よりも大切な約束を果たすために。そんな彼女の姿が僕の心にクリティカルストライク。

 

トレーナーが、「エゴでもいいから俺はお前の走る姿が見たい」というような言葉を口にしていましたが、そもそも応援や期待というものは究極的には個人のエゴイズムにすぎません。要するに、「頑張って」とか「負けないで」とか「お前の走りを見たい」というような言葉や、夢を託したりとか期待したりとかは個人の勝手な思いの押し付けだってことです。ターボもキタちゃんも画面の向こうのオタクもそう。みんなみんな勝手なんです。

 

でもそんな思いに応えるためにテイオーはあきらめずに前を向き続けるわけです。こんなに素晴らしいことって他にありますかね?人々の思いや夢を背負って戦い、絶望の淵から救い出す者、こういう存在を「ヒーロー」というのだと思います。ピンポン(松本大洋)のペコを思い出しますね。ドラゴンやスマイルを暗闇の底から救い出すヒーローの姿を。

 

しかもヒーローは一人じゃないところがすごい。ミホノブルボンの思いを受け取って走るライスちゃん、今度こそ本当に折れそうになっているテイオーに自分の走りを見せつけるターボちゃん、なにより一緒に夢を追い続けてきたマックイーンとテイオーの関係など、いつだって誰かが誰かのヒーローになっているのではないかと思います。だからこそどんな苦悩も絶望も乗り越えて彼女らは夢を駆けることができるのだとも感じさせてくれます。そんなまっすぐな彼女らの姿に、やっぱり人は心を打たれ夢を見る。

 

 

つまりウマ娘はみんなヒーローなんです。少なくともあの世界と僕の中では。アカン書いてたら泣きそうになってきた。

 

 

絶望と苦悩、そしてその先にある未来。

そこへ向かって駆けていくすべてのウマ娘達に、ありがとう。そしておめでとう。

彼女らに万雷の拍手と喝采を。響け、ファンファーレ。

 

 

 

 

こっから本題というかタイトル回収。

 

ウマ娘が好きな人には宮本輝の「優駿」という小説がおすすめです(タイトル回収)。こちらも競走馬とその周りの人間たちの物語ですが、ウマ娘ではなく、畜生風情の馬に人が夢と思いを託す姿を丁寧に書いた、人の「思い」のすばらしさに触れることのできる作品です。こちらも是非。

 

www.shinchosha.co.jp

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以上、おしまい。